鳩子に豆鉄砲

アラサーOLと貯金と時々株

心がすり減っていることに気付いた年度末

私は正直者で、嘘を付くのが苦手だ。これが大前提。


常に仕事に対するモチベーションが低い同僚がいる。口を開くと愚痴、不満、愚痴。そのくせ承認欲求がやたら強い。


『どうせ私なんて〜だからね』

こういったことを言う人の大半はこの返しを待っているのだと思う。

『そんなことないよ!〇〇さん頑張ってるじゃん!』


そう言われている方は気持ちがよく、満たされるのだろう。だが言っている(言わされている)ほうはどうだ。


冒頭でも述べた通り、私は正直者だ。嘘を付くのが苦手だが、嘘を付けないわけではない。


同僚がネガティブになる度に持ち上げてきた。

『〇〇さん、すごい〜!』『私にはできない〜!』『〇〇さんみたいになりたい〜!』


一年かけて立派な太鼓持ちの出来上がりである。息をするようにヨイショすることができるようになったし、それが最善の対応だと思っていた。


しかしクドいようだが私は正直者だ。一年経ってようやく気づいた。


私の心がすり減っている


もちろん同僚だって悪人じゃない。助けられたこともあるし励まされたことも何度もある。だから今まで麻痺しながらなんとかやって来れたのだろう。でもやはり、思ってもないことを言うのは疲れる。



なぜ私は太鼓持ちになってしまったのだろうか。

私が行っている業務は1人では完結できない。同僚とのコミュニケーションが必須だ。とはいえ会社は大人の集まりなのでコミュニケーションが苦手な、所謂コミュ障なタイプの人でも業務は行える。だが私は前の職場で上司に嫌われて嫌な思いをして辞めた為、人間関係が良好であることを重要視している。


と言っても、全員に好かれようとしているわけではない。嫌われないようにする、が正しい表現かもしれない。

当たり障りなく、愛想よく、いつもニコニコと対応している。嫌われないように。


頼み事をするにしても、挨拶もしない愛想の悪い同僚より、普段から交流のある同僚からの頼みの方が気持ちよく受けることができるので、この行動は無駄ではないのだと思っている。


しかし最近気付いたのだが、愛想の悪い同僚からの頼み事も、普段から交流のある同僚からの頼み事もどちらも仕事だ。気持ちなんて置いておいて、割り切ってしまえば楽になるのかもしれない。『仕事だから』の一言で。でも私にはそれができない。自分がどう思われるのかを気にしてしまう。


私がヨイショするのは誰のためでもない、私自身のためなのだ。誰もが優しさや笑顔の裏に、見返りを求めているだろう。



なんて自己分析してたら気持ちが楽になって来た気がします。そもそもなんでこんな思いをしてまで働いているんでしょうか。


嫌なら辞めればいいじゃんって思う人もいるかもしれませんが、なんだかんだ言って私は人とコミュニケーションを取るのが好きなので、辞めたら辞めたで寂しくなるのでしょうね。



嫌だけど、嫌じゃない。

オトメゴコロは複雑なのよ!




よろしければクリックお願いします
にほんブログ村 その他生活ブログへ にほんブログ村 OL日記ブログへ