鳩子に豆鉄砲

アラサーOLと貯金と時々株

小学生の私と障害のある同級生

私が通っていた小学校には、特別支援学級がありました。
意思疎通、会話ができるレベルの子から、まったく会話ができない子まで7、8人を1人の先生が受け持っていました。
(記憶が曖昧なので担任の先生は複数人いたかもしれません)

授業によっては普通学級の子たちと同じ授業を受けており、割と仲良く過ごしていたのではないかと思います。


私が3年生になったとき、2年の時担任だった先生が特別支援学級の担任になりました。
そして私と友人を呼び出して、こう言ったのです。

「あなたたち、これから毎週◯曜日にA子ちゃんと一緒に帰ってくれない?」

その時から私と友人は、A子ちゃんと一緒に帰ることになったのです。


A子ちゃんは重い自閉症でした。
会話は成立しません。突然叫ぶ、しゃがみこんで動かない、手を噛むなどの自傷を始めることもあります。
そのため先生は、私たちに手を繋いで帰るように言いました。

まだ部活も始まっていない、小学3年生の学校帰り。
みんなでおしゃべりしたり、石を蹴りながら帰ったり、時には「男子ぃ、通学路守んないと先生に言いつけるよぉ」なんて言いながら帰る楽しい帰り道。

私たちはA子ちゃんと帰ります。
そのちょっと後ろを、A子ちゃんのお母さんが歩いています。何かあったら私たちでは対応できないからでしょう。
おしゃべりはできません。自分たちのペースでも歩けません。歩いて、立ち止まってを繰り返します。


一緒に帰る日は、A子ちゃんを教室まで迎えに行くように言われていました。
ある日、私は友人をそそのかして、迎えに行かずに自分たちだけで帰りました。
帰宅のチャイムと共にダッシュしたのを覚えています。

A子ちゃんのことは嫌いだと思ったことはありません。ただ好きなように帰りたかったのです。

味をしめた私は、また別の日にも帰宅のチャイムと共にダッシュしました。
すると先生が下駄箱に立って私たちを待ち伏せしており、めちゃめちゃ怒られたことを覚えています。

あの時の先生の怖い顔は、今でも思い出すことができます。


そこで記憶がプツンと途切れていて、どうなったかは全く覚えていません。
4年生になると部活も始まり、自然と一緒に帰ることはなくなったのだと思います。

ちなみに先生は、私が卒業するまで特別支援学級の担任をしていました。ヒステリックなおばさんでした。


私が通っていた中学にも同様に特別支援学級があり、A子ちゃんとまた同じ学校になりました。
A子ちゃんは小学生の時はお母さんと手を繋いで歩いて通学していましたが、中学になるとA子ちゃんが1人で歩き、そのちょっと後ろをお母さんが付いて歩くというスタイルに変わっていました。道端にしゃがんでいるA子ちゃんを見守っているお母さんを何度か見かけたことがあります。
中学では特に特別支援学級との交流はなかったため、それ以上の記憶はありません。


高校以降のA子ちゃんがどうしていたのかは知りませんでしたが、この前偶然、道を歩くB子ちゃんとそのちょっと後ろを歩くお母さんを見かけました。
中学を卒業して13年。中学の時のままの光景でした。

それを見て私は何か特別深いことを思った、なんてことはなく、あの時黙って先に帰った私はズルい子供だったことと先生の顔はすごく怖かったことを思い出した、というオチのない思い出話です。